日本の城跡
多度津陣屋(別称:御殿)
略史 山崎氏改易後、京極高和が播磨より入封し丸亀藩初代となった。二代高豊は嫡子高或が幼少であった為、万一を考え藩主の控えとして、1694年に庶長子の高通に一万石を分知して多度津藩を立藩した。しかし多度津藩は城郭の構築は許されず、別館とわずかな家臣の派遣のみで藩政は丸亀城内で行われた。ようやく1826年に四代高賢のとき陣屋の構築が許され入部、次の高琢は多度津港を築造整備し、物資の集散地として繁栄させた。幕末六代高典の時、勤王方として鳥羽伏見、戊辰戦争に参陣し、朝敵高松藩追討の先鋒となった。 |