日本の城跡
安芸城
略史 土豪の安芸氏は代々安芸郡の大領を相伝していた。その居城は安芸市川北にあったが、鎌倉末期に安芸親氏がこの地に城を築いた。戦国時代、国虎は土佐七豪族の一人にまで勢力を拡大したが、岡豊城を本拠とする長宗我部元親との間で抗争を繰り返した。戦国末期、長宗我部氏が本山氏攻撃に出陣した隙に、国虎は一条氏の支援を受けて岡豊城を攻めたが失敗、その後一条氏の調停で和睦した。その後国虎は元親に岡豊城に招待されたが、降伏を要求されるものと思い拒否、安芸城に配下を集めて決戦におよんだ。こうして元親の総攻撃が開始され、三日三晩の攻防戦も、結局味方の裏切者がでて安芸城は陥落した。国虎は一条氏出の夫人と配下の兵の助命を願い、菩提寺の浄貞寺で自害し安芸氏は滅亡した。安芸城には元親の弟香宗我部親泰が入城したが、関ヶ原の役で元親の子盛親は除封され、安芸城には土佐の領主山内一豊の老臣五藤為重が配された。為重は一国一城令などの為に修築して土居とし明治を迎えた。なお安芸土居は現在に至るまで五藤家の所有地になっている。 |
西側からの遠望 | 南側水堀・土塁 | 南西水堀・土塁 | 南側水堀・土塁 | |
南東水堀・土塁 | 大手門桝形・石垣 | 土居内・東側石垣(土塁内側) | 土居内の五藤家屋敷 | 同 |
土居内 | 安芸氏時代に裏切者が毒を入れた井戸 | 五藤家祖先を祀る藤崎神社 | 東側土塁(内側は石垣) | |
同土塁 | 同・右側は水堀跡) | 西側土塁(内側は石垣) | 同 | 同 |
屋敷地を造成の為古城の南端を削る | 同の石垣(土留め) | 虎口(石塁) | 古城への登城道周辺の石塁 | |
虎口 | 石垣 | 櫓台 | 南二段目 | 脇段 |
城塁 | 上段虎口 | 上段 | 同虎口・土塁 | 北二段目 |
同から上段を見る | 北三段目 | 北三段目から二段目方向 | 北三段目と二段目間の石塁 | |
同 | 北三段目土塁 | 同虎口 | 急崖 | 南側からの遠望 |
武家屋敷 | 同 | 同 | 同 | |
同 | 同 | 同 | 同 | |
野良時計 | 堀川沿いの城下 | 岩崎弥太郎生家 | 同 | |
同 | 同 | 周辺の立派な住宅(壁に注目) |