日本の城跡
中村城(別称:為松城)
略史 1468年、京都の戦乱をさけて前関白一条教房と、その一族が荘園であったこの地に逃れてきた。教房は元々この地の豪族の為松氏を家老に取立て中村古城を修築して戦国大名として土着した。しかし兼定の時、素行の悪さから長宗我部元親の怒りにふれ、兼定は豊後に追放された。これを憤った加久見氏など家臣たちが中村城を攻略したが、元親はこれらを平定して弟の吉良親良を入城させた。兼定は伊予の法華津氏などの支援を得て栗本城に拠って中村城の奪還を図ったが、結局元親に攻められ滅亡した。関ヶ原の戦い後、山内一豊に土佐一国が与えられ、一豊の弟康豊が入城したが一国一城令により廃城となった。 |