日本の城跡

竜馬脱藩の道・維新の道

案内
訪問日 H24年11月
ポイント 幕末の英雄・坂本竜馬は、同志澤村惣之丞と共に、1862年3月24日に高知を出奔し、25日に梼原に到着した。その夜、梼原の勤王の志士である那須俊平・信吾父子の家に泊り、翌日に俊平・信吾の道案内により宮野々番所を抜け、四万川茶や谷の松ヶ峠番所を抜けて、予土県境の韮ヶ峠を越え、伊予の国に脱藩した。その後竜馬は船で三田尻(山口県)に到着した。また吉村虎太郎はじめ勤王の志士十余名は、宮野々番所から西方の九十九曲峠を越えて脱藩した。(梼原町商工会案内より)
印象 竜馬脱藩の道、山また山の中を延々と行く。風力発電の風車が山の上で回っている。高知から2時間強かけて到着、竜馬は一日で駆け抜けてきたとのこと。竜馬風のガイドさんの案内で歴史民族資料館・ゆずはら座・茶堂・旧掛橋和泉邸・神幸橋・脱藩の道・維新の門群像等を廻る。町あげての太陽光発電の推進を一方で進め、町を整備して観光誘致に努力している。前の町長さんの力が大きいらしい。その後千枚田、国境の韮ヶ峠、四国カルスト等廻り、見どころいっぱいの一日だった。
地図
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概略  1853年のペリー来航は、日本の鎖国体制を揺るがせ、幕藩体制崩壊の契機になった。そしてその大きなうねりは、梼原にも多大な影響を及ぼした。坂本竜馬はじめ、土佐勤王党、天誅組、忠勇隊に参画した梼原出身の志士、吉村虎太郎・那須信吾・那須俊平・掛橋和泉・中平龍之介・前田繁馬達は使命感に燃えながら野越、神根越、化粧坂、そして国境の九十九曲峠、韮ヶ峠への道を幾度も往来した。志士達の多くは志半ばで不遇の最後を遂げているが、この維新の道はまさしく日本の未来を切り拓く希望の道だった。(梼原町商工会の案内より)
坂本竜馬生家跡 竜馬像(桂浜)  同浦戸城跡の竜馬記念館 高知城
はりまや橋 武市半平太旧宅跡
隣接する端山神社   生誕地津野町の吉村虎太郎像 同津野町並み 梼原町ふるさと広場 同千枚田近くの茶堂
茶堂から千枚田 同千枚田 同から茶堂 化粧坂の茶堂・脱藩の道 同近くの六志士の墓(掛橋・中平・前田・吉村・那須父子の諸氏)
旧掛橋和泉邸 脱藩の道 神幸橋(木橋)・三島神社 三島神社
脱藩の道 木橋
維新の門(坂本竜馬他七士) ゆずはら座 歴史民族資料館 脱藩の道(国境・韮ヶ峠)
梼原ゆかりの志士
四国カルスト高原 同・風車