日本の城跡

安田城(別称:安田塁)


城碑
訪問日 H28年11月
ポイント 呉羽丘陵の東南麓、井田川左岸の扇状地に立地する戦国時代の平城、堀を含めた規模は約東西150m、南北240mで大きくはないが貴重な国の史跡。縄張りは周囲を分厚く高い土塁で囲まれた本丸、土橋を挟んで周囲を低い土塁で囲まれた二の丸、更に二の丸西側に右郭と呼ばれる曲輪と3つの曲輪で構成され、その各曲輪を井田川から水を引き入れた堀が巡らされている。
印象 昔から土地の人の間では城の存在が知られていたが、平城であった為農地となっていた。しかし圃場整備事業の計画から事前の発掘作業をしたところ、城の堀、土橋の存在が確認され、全容の復元となったようだ。堀の幅は広く見事な城郭だ。地元の方々の努力に感謝!
地図
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略史  築城年代は定かではないが、1580年代には存在していたと思われる。1585年、全国統一をめざす豊臣秀吉が越中の佐々成政を攻めたときに、秀吉は呉羽丘陵にある白鳥城に本陣を置いた。この時、秀吉に与した前田利家の家臣岡嶋一吉らは安田城に布陣した。佐々氏が転封後、越中は前田氏の所領となり、安田城も前田氏の持城となった。1597年、前田利長が守山城から富山城に移った時、再度岡嶋一吉、片山伊賀が白鳥城に配されたが、白鳥城を詰の城とし、この安田城を平時の居城とした。しかし一国一城令で安田城は廃城となった。

本丸方向

右郭方向

右郭に架かる土橋

右郭の水堀

右郭の水堀

詰の城、白鳥城方面

右郭内の城郭案内、右郭は土塁がない

右郭から二の丸へ、土橋・直虎口

二の丸・水堀

二の丸水堀

二の丸土塁

二の丸・土塁

二の丸から右郭方面

二の丸と本丸間の水堀


二の丸から右郭間の水堀

本丸への土橋

本丸から二の丸方面・土橋

本丸虎口の土塁

本丸・土塁

本丸土塁

同の土塁上

本丸虎口を見る

本丸から二の丸方面

本丸西側の水堀

本丸北側の水堀

本丸脇、井田川方面