日本の城跡

越前勝山城


天守台跡にある城碑
訪問日 H30年 5月
ポイント 城は九頭竜川の東岸の河岸段丘に造られた平城。勝山は大野盆地と福井平野の中間に位置する。本丸・二の丸・三の丸からなる梯郭式平城である。現在の市民会館、市役所、西法寺、中央公園の一部が本丸であるが、二の丸・三の丸とも、遺構はほとんど残されていない。
印象 市役所、市民会館、教育会館周辺が城跡とのことで、いろいろ探し回ったが、城碑のみで発見できなかった。昭和40年代までは天守台や土塁の一部が残っていたようだが、見事に堀・土塁を埋め戻して、面影はなかった。残念!ただ、市の郊外の畑の真ん中に、勝山城とは全く関係のない勝山城模擬天守が、博物館として堂々と立っていた。立派すぎて違和感かなり。また近くに越前大仏が建立されており、これも立派。
地図
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略史  城は戦国時代に柴田勝家の一族である、柴田勝安によって築城された。柴田氏滅亡後、成田重政、長谷川秀一が城主となった。関ケ原の役後、結城秀康は越前一国の領主になったが、1624年に秀康の五男松平直基が3万石をもって入封、勝山藩を立藩した。その後弟直良が入封、移封後天領となり廃城となった。1691年、小笠原貞信が入封し藩が確立し、明治まで8代続いてこの地を治めた。貞信は廃城となった城を、旧城の再建という名目で幕府に願い出て築城を許されている。最後の藩主長守は、煙草、生糸の生産販売を促進し、近代勝山産業発展の基礎を築いた。維新時は京都の警備、新政府への恭順と体制に順応した。

本丸跡(市役所)

天守台跡


校舎竣工記念碑

二の丸跡(教育会館)

二の丸藩庁・御殿跡


二の丸堀跡

二の丸堀跡、左が三の丸

二の丸堀跡

本丸と堀跡

河岸段丘下(町人町)

同、おたね坂

建雷神社(家老林毛川の遺徳碑あり)

災難除けの金灯篭

勝山城博物館



清大寺(越前大仏)