日本の城跡

一乗谷城


城の最高所・三の丸
訪問日 H29年11月
ポイント 本丸は中腹に削平した山上御殿(千畳敷)跡である。付近には堀切や土塁で区画した観音屋敷跡・赤渕明神跡・宿直跡・月見櫓跡が集中している。観音屋敷は三方を土塁を巡らし、枡形虎口がある。宿直跡からの眺望は良く、福井平野が一望できる。本丸から東南の頂上に向かって、尾根伝いに一の丸・二の丸・三の丸と続き、総延長は約500mに及んでいる。各郭は堀切によって区切られた連郭式城郭である。更に一の丸は空堀があり、二の丸は大きな堀切があり、三の丸は最も高く、堀切と多数の竪堀で固めている。背後の堀切を超えると一乗山山頂である。
印象 ツアー初日で、身体が慣れていないせいか、とにかく疲れた。林道をバスで三万谷口迄登ったので、ラッキーと思ったが、それからが大変。急な階段を尾根道まで登り、それから長い登城坂をテクテク、なかなか遺構が見えてこない。30分ほど歩いてやっと本丸と一の丸方面との分かれ道に出る。まず一の丸方面へ行くと、堀切・空堀・土塁で固めた曲輪が次々と現れた。最高所の三の丸へ。その後、本丸に、ここは広く兵站地として、また館側からの攻撃の第一の防御の要か。櫓・土塁・堀切・枡形虎口等で固めていた。高さと自然地形を利用した大規模な中世山城。ただ藪の為、畝状竪堀などがなかなか見つけられず残念。
地図
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略史  15世紀前半に、朝倉氏によって当主館の東側背後の標高473mの一乗城山に詰城として築城された山城。織田信長との刀禰坂の戦いに大敗した朝倉義景は一乗谷を放棄して大野に逃れた。信長の軍勢は一乗谷に侵攻し、火を放ったため、館はじめ、侍屋敷、寺院、町屋等ことごとく灰塵に帰した。その後、朝倉氏旧臣の桂田長俊が一乗谷に館を構えたが、一向一揆勢に討ち取られ、その後入部した柴田勝家は北庄城に本拠を移した為、一乗谷朝倉館は廃城となり、山城も一度も戦火を交えることなく廃された。

遠望

三万谷口

尾根に登る

尾根道

堀切



堀切

竪堀

堀切

堀切

千畳敷と一の丸との分岐点

千畳敷方面

千畳敷の曲輪

空堀

堀切

堀切

千畳敷方面

一の丸切岸

一の丸切岸

一の丸横堀

一の丸横堀

一の丸

一の丸

一の丸

一の丸

堀切

次の曲輪と二の丸間の堀切

堀切

同を二の丸から見る

二の丸

二の丸

二の丸

二の丸

二の丸

二の丸

三の丸間の大堀切

大堀切の土橋

二の丸方面の土塁

三の丸方面の土塁

竪堀

堀切

竪堀

竪堀

三の丸

堀切

三の丸

三の丸

三の丸

三の丸先の堀切



畝状竪堀

畝状竪堀

千畳敷(本丸)



枡形虎口(石積)



月見櫓台方面・宿直

宿直

宿直からの眺望


観音屋敷跡

同(土塁)