日本の城跡

北庄城(別称:北ノ庄城)

柴田神社・勝家像
訪問日 H14年 6月
ポイント 福井城本丸より少し南に偏した所にある。現在、柴田神社境内地になっている。当時の規模は宣教師、ルイス・フロイスの本国への書にも”甚だ立派な城”と書いてあり、信長の安土城に匹敵したらしい。
印象 城碑・石垣の一部と勝家の霊を祀る柴田神社のみ残る。信長の妹お市の方との最期を偲ぶ。遺構は街の中に埋没。
地図
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略史  北庄城は足羽七城の一つで一乗谷朝倉氏の西の要として北庄朝倉氏が六代在城した。朝倉氏滅亡後、織田信長は北庄に津田、木下、三沢の北庄三人衆を置いた。しかし一向一揆によって追われた為、信長は再度出兵し一揆を平定し柴田勝家を入部させた。勝家は居城を一乗谷から北庄に移し、足羽川と吉野川との落合を背にして平城を築城した。勝家は刀狩や検地等民政や城下町の経営にも注力、現在の福井市の基盤を造った。信長死後、羽柴秀吉との後継者争いに敗れ、北庄城は落城した。関ヶ原後、徳川家康は結城秀康を入部させ北庄城を破却改築し、後の福井城を築城した。
石垣    柴田神社