日本の城跡

小丸城


本丸と城碑
訪問日 H30年 5月
ポイント 城は鞍谷川等によって形成された扇状地の扇端の小丘陵に築城され、湧き水が豊富である。城域は奈良時代前期の創建とみられる野々宮廃寺跡初め、周辺には小丸・北小丸・古城・御舘等小字名が残り、広範囲に存在していた。縄張りは一部石垣で固めた本丸を中心に、環郭式に二の丸・三の丸を土居や堀で固めていた。北西の乾櫓跡から、、一揆成敗のありさまを刻んだ文字瓦が出土している。
印象 平城で小規模ながら、本丸・二の丸・三の丸で構成され、湧き水が多く、城の周囲は湿地・田が巡っていた。なかなかの堅城と思われるが、4年で廃城とはいかにも残念。巨石で造られた本丸虎口が面白い。道路や住宅開発等で一部失っている。楽しめた。
地図
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略史  越前一向一揆を平定した織田信長は、越前に柴田勝家を配した。そして府中上二郡には、勝家の補佐として府中三人衆と呼ばれた前田・不破・佐々を置いた。勝家が北ノ庄の築城すると、前田氏は府中城、不破氏は龍門寺城に拠り、佐々氏は小丸城を築城した。しかし佐々氏が4年後に越中富山城に転封した為、廃城になった。

遠望(手前の木立)

本丸と二の丸

二の丸

本丸石垣

本丸

本丸虎口






本丸石垣



空堀跡

空堀と三の丸

南側の二の丸


身代わり碑

西側の二の丸跡

同の常楽安院

北側の二の丸

北側の本丸土塁

北側の二の丸


北側堀跡


北側二の丸と本丸

南・西の二の丸

西側の空堀跡