日本の城跡

鞍谷御所


訪問日 H30年 5月
ポイント 居館は100m四方の方形で、土塁と堀が巡っている。南側には二重の堀と水堀がある。古代には継体天皇の宮跡がある。
印象 味真野神社の境内。三方が今でも堀と土塁で囲まれている。周辺は公園整備されて、広々としている。謎の天皇、継体天皇の像が造られており、ここに住まいがあったらしい。
地図
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略史  鞍谷氏は足利義満の子義嗣が、上杉禅秀の乱に連座して兄義持の疑うところとなり自殺、その子嗣俊が越前に逃れて鞍谷に住んだ。斯波氏の家督相続争いが一因となった応仁の乱で、勢力を拡大した朝倉氏は越前を実効支配した。鞍谷氏は足利嗣俊の系統に、朝倉氏に擁立された斯波義俊の系統が娘婿として入り、鞍谷氏を継承した。朝倉氏滅亡後は、小丸城を築城した信長の家臣、佐々成政と臣従関係を結んだと言う。

遠望

味真野神社


土塁

二重土塁

水堀

継体天皇像

公園