日本の城跡
丸岡藩砲台
砲台跡
訪問日
H30年 5月
ポイント
海に突き出た形状の海岸線上に、弓状に築いた土塁は高さ1.8mで、5個の砲眼が4.5m間隔で設けられている。土塁の基底部と側面は石垣を積み、その幅は最大6m程ある。砲台跡はほぼ完全に当時の姿を残している貴重な遺構である。
印象
品川台場のイメージがあり、もっと大規模化と思ったが、地方の藩だからと納得。石垣で側面を固めた砲台が5ヶ所と高台に指揮所がある。良く残ったなーと感心。しかし本当に大砲が届いたのだろうかと?
地図
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略史 江戸末期、諸外国船の来航が相ついたため、幕府は各藩に沿岸警備を命じた。福井藩は宿や米ノに、丸岡藩は梶に、大野藩は四ケ浦、小浜藩は鋸崎・金ヶ崎・松原というように、海岸線に沿って砲台を築いた。ここ丸岡藩の砲台は、1852年に高島秋帆の門下、栗原源左の設計で築造された。
指揮所跡
砲台
砲台前面
砲台前の海岸
越前松島方面
同
芦原の海岸線