日本の城跡

小黒丸城(別称:黒丸城)


城碑(従前は北方50mの台地にあった)
訪問日 H30年 5月
ポイント 城は東と北を還流する九頭竜川と西に流れる日野川に守られ、唯一開いた南側は深い水田に囲まれた堅固な平城。そして周囲に足羽7城はじめ支城を配している。
印象 南北朝騒乱期の北朝方の一つの拠点。朝倉孝景が一時期、居城としていた城の歴史があり、楽しみにしていたが、城碑のみであった。しかし、周囲は今でも水田と川が取り囲んでおり、当時の城の姿は感じられた。
地図
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略史  城は1337年、北朝方の斯波高経が築城した。翌年、高経は南朝方の新田義貞に越前府中城で敗れ、当城に逃れ、勝虎城はじめとする支城足羽7城と共に南朝方に備えた。しかし翌年脇屋義助率いる南朝方に攻められ、高経は城を捨てて加賀に逃れた。足羽7城も南朝方に攻められ落城した。その後、室町末期に斯波氏守護代の朝倉氏が入城したが、朝倉孝景の時、一乗谷に本拠を移した為、城は廃城となった。

城碑遠望

周囲

周囲