日本の城跡
鯖江陣屋
略史 間部詮房は徳川綱豊(6代将軍家宣)の寵愛を受け、出世し高崎、村上藩主となる。没後、弟の詮言が相続し越前に転封、立藩した。しかし入部時、南北は福井藩、東は小浜藩、西は幕府直轄領というように、四方は他藩領に囲まれた狭小な地で、左遷であった。その後小浜藩領東鯖江と当藩の飛地が交換され、ようやく旧鯖江代官所跡の居館を構え、2代藩主詮方の時、整備拡張した。しかしその後の飢饉等で財政は困窮した7代藩主詮勝は深い教養を持ち、産物問屋を設けて市を立てたり、産物会所を設置、また藩札を発行するなど財政再建を図った。そして幕閣にに累進、老中になった時にようやく築城を許されたが、天保の大飢饉や藩財政等から実現しなかった。また井伊直弼の片腕として、諸外国との条約締結、安政の大獄を推進したが、直弼と対立し蟄居となった。維新時、新政府軍に恭順し、戊辰戦争に参戦した。 |