日本の城跡

吉江陣屋


記念碑、ここから後ろの山裾にある自衛隊駐屯地までが陣屋跡か
訪問日 H30年 5月
ポイント 館は丹生郡と足羽郡の境で、福井の城下町にも近接し、北陸道と日野川の中間に位置する交通の要地である。東西100m、南北120m程の小規模な陣屋と言われている。陣屋期間も30年ほどで、その後の開発で遺構は残っていない。西光寺の表門は陣屋の表門を移築されたもので、唯一の遺構である。ただ七曲り道、大手門跡、家中跡、制札場跡の名が残り、藩邸で使用された湧水「榎清水」が残っている。
印象 記念碑で、ここに陣屋があったことが分かるほど、周囲には何も遺構はない。前面が川、後ろが山でこの一帯が陣屋であったらしい。今は周囲は農地が広がっている。移築門が西光寺に残っている。表門にしては小さいか?
地図
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略史  結城秀康の子で、福井藩3代藩主松平忠昌が死去し、子の松平光通が後継となる。この時、異母兄の松平昌勝に5万石を分与、更に異母弟松平昌明に2万五千石分与した。昌明は所領が越前各所に分散していたため、本拠地を吉江に定め、陣所を設置し吉江藩を立藩した。しかし宗家の福井藩主・光通が死去した為、その遺言で昌明が家督を相続、福井藩主となり、昌親と改名した。この為藩領は福井本藩に吸収され、吉江藩は廃藩となった。

陣屋跡


前の浅水川

大手跡

西光寺

同の移築表門

吉江神社