日本の城跡

飛騨松倉城


主郭石垣
訪問日 H29年 4月
ポイント 城は標高857m、日本有数の高所にある山城。高山盆地を見下ろし、北は越中、南は岐阜、東は木曽、西は郡上に通じる街道を一望できる要所に位置する。縄張りは山頂部に主郭を置き、主郭は外郭に囲まれ、東側に二の郭、西南にL字型の三の郭が配置されているが、いずれの曲輪の規模は小さい。主郭の石垣の高さは最も高い南西隅で8m程あり、南側の三の郭とを隔てている。松倉城の主要部は織田信長の影響を受け、石垣で固めているが、その大半は自然石を加工せずに積み上げた野面積みに近いものである。しかし角部には加工した石も使用され、石垣の隙間には詰石もある等、近世城郭に近い構造も見られ、中世から近世城郭に至る、転換期の城であった。
印象 屋敷跡の飛騨の里でバスを降り、結構きつい山道をてくてく歩く。中腹にあるシンボル広場からいよいよ搦め手口の城域に入る。途中、堀切や竪堀等を見ながら登っていくと、突然、櫓台の石垣が迫ってきた。本当に立派な石垣が続く、岩山なので石垣が加工できたのであろう。三の郭に入っていくと、主郭の石垣が目をみはる。綺麗ではないが、武骨な石垣が続く。天然の巨石がにょきっと立つ旗立岩の脇を通り、二の郭・大手門跡へ。崩れた石垣の石がごろごろ。大手門の前に井戸跡があり、やはりここも水の手があった。主郭に戻り、石垣の虎口から入る。主郭は内側に石垣で作られた  台があった。北側には底石のみであった  主郭から見るアルプスが素晴らしく、登ってきた疲れがふっとんだ。総石垣の城。険しい山肌にも石垣が積まれていた。すごい技術の城だ。外人さんがたくさん登ってきていたのにはびっくり、すばらしい遺構と風景を楽しんでいたようだ。とにかく面白かった。
地図
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略史  飛騨守護京極氏の代官、三木氏は高山盆地に進出、勢力を拡大し、主家京極氏に取って代わる戦国武将に成長した。4代直頼の時、桜洞城を築城し、三木氏の居城とした。6代自綱は天神山城の高山氏を攻め滅ぼし、叔父の久綱に守らせ、自身は松倉城を築城して桜洞城から移り住んで飛騨制圧の拠点とした。そして脅威となるだろう、子の桜洞城主・信綱、高原諏訪城主の江馬輝盛、弟の鍋島城主・顕綱らを殺害していった。しかし傘下に入っていた織田信長死去に伴う跡目争いの中、豊臣秀吉は佐々氏に与して反目する三木氏討伐を越前大野城主金森長近に命じた。長近は三木方の属城を次々に落とし、ついに田中城に籠る自綱を降伏させた。自綱は近衛関白前久を頼って京都に逃れた。次に自綱の子、秀綱が籠る松倉城を攻撃、籠城勢も必死に防戦、天険の堅城ともあって良く守ったが、内部の裏切りもあってついに落城した。秀綱は信州に逃げる途中、土民に襲われ自害、三木氏はここに滅亡した。長近は松倉城に入城し、改修したが、高山城が築城されると居城を移し、松倉城はわずか6年で廃城となった。

遠望

竪堀

竪堀

竪堀

シンボル広場からいよいよ城域へ

搦手道途中の巨石

堀切

堀切

三の郭・西南隅櫓台石垣



主郭外郭の石垣


同・搦め手門跡・腰曲輪

主郭外郭石垣

同北西石垣


同から主郭方面

主郭外郭石垣


三の郭

三の郭西南隅櫓台


三の郭南曲輪

同・南石門跡

同・南東隅櫓台

同の石垣

同から見た三の郭南側石垣

同から見た主郭外郭石垣

旗立岩

二の郭石垣







同付近から主郭方面

二の郭東尾根を区切る石垣


同前の井戸跡

大手道


土橋

堀切

旗立岩

北尾根

二の郭から主郭石垣

主郭・外郭石垣

外郭石垣

外郭虎口

主郭虎口

主郭石垣・外郭

主郭石垣

主郭虎口

同石垣

主郭

同石垣跡



主郭から二の郭方面

主郭から高山市内・高山城

主郭からアルプスの眺望

山麓の屋敷跡(飛騨の里)