日本の城跡

増島城


水堀・櫓台
訪問日 H29年 4月
ポイント 北飛騨唯一の平城。宮川に沿って、南北に長い古川盆地のほぼ中央に位置する。本丸櫓台の石塁と堀の一部が残っている他、林昌寺と円光寺に城門が山門として現存。
印象 学校敷地の片隅に、ぽつりと櫓台・石垣と水堀の一部が残っている。石垣はよく見ると、近世に積み上げたものがかなりあるが、見ごたえ十分、絵にはなる。移築城門が二つ、寺の山門として現存していた。
地図
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略史  金森長近は戦国末期に、豊臣秀吉の命を受け飛騨国を治めていた三木氏を攻略して領国とし、本城の高山城や増島城を築城、増島城には養子の可重を入れた。長近の死後、後継者の可重が二代目高山藩主となり、長子の重近が増島城主となった。しかし可重の死後、三代高山藩主は将軍秀忠の命により重近でなく、弟の重頼が後継となった為、重近は出家して宗和と号し、京都に去り茶道に生きている。増島城は重頼の命により、家臣が入城した。その後一国一城令により廃城となり、古川旅館と改称し、金森家の別邸となった。しかし70余年後、金山氏は出羽上山へ移封となり、高山は天領となり、増島城は高山城とともに破却された。

水堀・櫓台

石垣


同・櫓台

石垣

櫓台

石垣


櫓台の上



水堀・櫓台

城内に立つ特別支援学校

城内に建つ古川小学校

円光寺移築城門

円光寺



寺内の金森家墓所

飛騨古川駅

林昌寺移築城門

同内部より

林昌寺


古川町内