日本の城跡
高山陣屋
表門
訪問日
H29年 4月
ポイント
金森氏は外様ながら幕府の側用人を務めていたが、飛騨高山の豊富な資源(金・銀・銅・木材)に幕府が目を付けたのが移封の原因であろう。管轄地は4ヶ国総石高10万4000石余に及んだ。現存する郡代役所は全国でも高山だけで、郡代役宅・御役所・御蔵・御門・書物蔵・井戸の遺構が残っている。ただ、悲しい事件も勃発している。代官大原紹正時代の過酷な検地と紹正の領民に対する振る舞いに対する反感が暴発した安永大原騒動、子の正純の不正に対する反発、天明大原騒動はいずれも幕府・尾張藩等を巻き込み、領民はもちろん、郡代側にも多くの処罰者を出している。
印象
5時を過ぎてしまい、閉門。外観からだが、建物の屋根がのしぶき、杮葺き、石置長榑葺等、いずれも林業の地として、また雪国らしく板で葺かれており、納得した。外周を一周した。
地図
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略史 高山藩主、六代金森頼時は将軍綱吉の不興をかい、出羽上山に移封となった。その後高山は幕府の天領となり、関東郡代伊奈忠篤が飛騨代官兼務を命じられた。そして金森氏時代の下屋敷を代官所(のち郡代)と定め、高山陣屋が創設された。当初、代官は江戸に定住していたが、常住を命じられ、最後の郡代新見内膳が、新政府軍が高山に来るとのことで陣屋を捨てて江戸に脱走、170年間の歴史を閉じた。
役所
板塀
表門
土蔵
内部
蔵番長屋
稲荷社跡
役宅外観
陣屋前から高山城遠望
宮川
宮川