日本の城跡

丸山城

本丸・城碑
訪問日 S63年12月、R元年11月
ポイント 伊賀の土豪が織田軍に叛旗を翻した、天正伊賀の乱の舞台。伊賀盆地の中央部、比自岐川と木津川の合流点の東南の独立した小山にある。伊賀全域を押える重要地。本丸天守台・櫓台・土塁・空堀・曲輪・出丸など残る。戦国城郭遺構として貴重。
印象 小高い小山にある。本丸・曲輪・空堀等残るが、天険でもなく、要害堅固の雰囲気はない。しかし戦国の城として貴重だが藪に覆われていたのが心配だ。再訪。前回藪に邪魔され良く分からないままで終わったので、期待して再挑戦。しかし今回も藪に妨げられ、戦国城郭の遺構はあまり感じられなかった。出丸も含めると規模も大きく、もう少し整備してもらえると楽しめたのにと、欲求不満で今回も退城した。
地図
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略史  伊勢国司北畠具教は伊賀平定の為に丸山城を築城したが、伊勢大河内城で織田信長との戦いで敗れ丸山城は荒廃した。伊賀平定をめざす伊勢国司北畠信雄は、豪族下山氏の強力を得て重臣滝川雄利に丸山に築城させた。しかし伊賀の在地土豪は天童山に集結、不意を突いて丸山城を攻撃し落した。その後織田軍が再度伊賀に侵攻するも大敗している。
郭・仏塔
郭・祠
郭・土塁
曲輪
西尾根先の入口
遠望
近隣
  道標
  

以下再訪分      遠望

遠望

南出丸方面

南出丸からの入口

南出丸曲輪群に入る

同の段郭曲輪

虎口

段郭曲輪

南出丸虎口

南出丸・祠

主郭へ

堀切か

主郭土塁

主郭・天守台

天守台へ

天守台虎口

天守台の城碑

天守台下の櫓台・印塔

主郭

同から城碑

北曲輪群土塁

横堀

堀切

二重堀

横堀

堀切

横堀

北曲輪

土塁

北曲輪群下の鳥居の残骸

主郭から二の丸へ

堀切跡

二の丸・土塁

竪堀

堀切跡
出郭 水道施設がある西の丸