日本の城跡
桜町中将城(別称:桜町館)
略史 織田信雄は織田信長の次男で、1569年に伊勢国司北畠具教の養子になり、北畠中将信雄と称した。京都の屋敷が桜町にあったことから桜町中将とも呼ばれた。7年後信雄は具教を謀殺して実権を握り、更に伊賀に侵攻した。しかしこのときは伊賀勢の反撃で後退、2年後に大軍をもって来攻し、名張の柏原城まで到達したが要害堅固な為容易には落せず長期戦となった。この為家臣の滝川三郎兵衛に命じて下小波田の地に急遽居館を造らせたもの。信雄は伊賀平定後、南伊賀の支配に必要な館として当城を完成させたが、父信長の死により信雄の立場も変わり、当城の重要性も弱まった。 |