日本の城跡

桜町中将城(別称:桜町館)

外郭部分
訪問日 H22年 5月
ポイント 滝川氏城の東隣の山の丘頂部にある。入口を南に設け、本丸の四方に土塁、その外側に深い空堀を廻らせた単郭式城郭、更に堀切を北に設けて山の尾根を切り裂いている。中世城として典型的な形をのこしており、小規模ながら伊賀随一の遺構をもっている。
印象 地主さんに聞く。滝川氏城の目の前の竹藪のある山だということで、地主さんの敷地を突っ切らせてもらう。ただ侵入路を間違った為強引に竹藪から入る。土塁・郭らしきものを発見したが、外郭部分であったらしい。そこからの侵入路が見つからず今回断念す。遺構も多いようなので次の機会に挑戦したい。
地図
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略史  織田信雄は織田信長の次男で、1569年に伊勢国司北畠具教の養子になり、北畠中将信雄と称した。京都の屋敷が桜町にあったことから桜町中将とも呼ばれた。7年後信雄は具教を謀殺して実権を握り、更に伊賀に侵攻した。しかしこのときは伊賀勢の反撃で後退、2年後に大軍をもって来攻し、名張の柏原城まで到達したが要害堅固な為容易には落せず長期戦となった。この為家臣の滝川三郎兵衛に命じて下小波田の地に急遽居館を造らせたもの。信雄は伊賀平定後、南伊賀の支配に必要な館として当城を完成させたが、父信長の死により信雄の立場も変わり、当城の重要性も弱まった。
外郭・土塁