日本の城跡

菰野陣屋(別称:菰野城)

水堀
訪問日 S63年10月
ポイント 初代雄氏は主に京都武者小路に居住していた為、役所や屋敷は元代官所を修補する程度であった。しかし雄氏が信雄の娘を妻に迎えるとき、堀もない城主に娘はやれないと言われ、急遽巾6m.の堀を廻らしたという逸話がある。又、明治になって新政府に対する格付けの必要から堀の整備、長屋門と隅櫓を建築した。
印象 菰野小学校になっているが土塁・石垣・水堀・櫓台・移築櫓等残っている。小藩ながら所々に城下町の雰囲気がある。陣屋大名が新時代を迎え、慌しく動いたのが目に浮かぶ。
地図
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略史  織田信長は伊勢攻略後滝川一益に伊勢五郡を与え、家臣の南川氏を菰野の代官とした。信長死後、一益は神戸信孝(信長の三男)と結んで豊臣秀吉に対抗したが敗北し、所領は没収された。その後北畠信雄の家臣、土方雄久に与えられたが信雄が秀吉との抗争に敗れ、犬山に移され豊臣秀次が伊勢を領有した。関が原後、徳川家康は軍功をたてた土方氏を菰野に復帰入封、雄高の時から菰野に定住し城郭と城下町を整備拡充した。以後明治まで13代在藩した。
遠望
土塁
本丸跡(菰野小)
土塁・水堀
土塁
本丸跡