日本の城跡

泉頭城



柿田川・湧水
訪問日 H31年3月
ポイント 要害地形、交通の要衝で湧水等生活環境が良い。柿田川湧水が長い年月をかけて侵食し作り出した自然の洞を利用し、ところどころ平坦地に木柵を巡らした曲輪を設けた城。縄張りは二の洞、三の洞に区切られた中央に本曲輪を置き、本曲輪を囲むように北の曲輪、東の曲輪、西の曲輪、南の曲輪等を、そして水源地の西側に堂の口出丸を配置している。それぞれの曲輪は泉ノ川と自然の深い洞、人口の空堀で防御され、土橋と木橋で結ばれている。
印象 柿田川湧水公園に散策に行ったら、偶然発見。相当の規模の城郭だったが、公園の造成等で一部遺構は消滅したようだ。しかし遊歩道から一歩雑木林や藪の中を見ると、自然地形の曲輪や洞が残っていた。滾々と枠湧水本当には綺麗で透き通っていた。
地図
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略史  城は1555年頃、北条氏康が戸倉城・三枚橋城らと連携して武田勢の侵攻に備える為に築城。武田氏滅亡後は徳川氏への最前線の城となった。豊臣秀吉の小田原征討により後北条氏は滅亡、泉頭城は廃城となった。徳川政権を確立した家康は、隠居城として整備する予定であったが、家康が急死したため、隠居城は駿府に変更となった。

西曲輪

堀切

湧水

柿田川

湧水

物見台