日本の城郭

韮山城

遠望・手前は城池
訪問日 H12年 8月
ポイント 北条早雲勢力拡大のゆかりの地。伊豆の脊梁山脈の突端の丘陵城郭で狩野川の分流が裾を洗い、又背後にある大きな池が堀になる天然の要害。更に江川砦、天狗岳砦、土手和田砦、和田島砦等周囲に砦が取り巻く難攻不落の城砦。
印象 韮山高校、韮山中学、韮山町役場などが並んでいる。今は狩野川の流れは無く、要害のイメージは少ないが堀の代用だった大きな池が今も満々と水を湛えている。近くには江川太郎左衛門築造した反射炉、源頼朝の配流の地、蛭ヶ小島がある。
地図
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略史  北条早雲は堀越公方足利茶々丸を滅ぼし伊豆全土を制圧し、韮山城を築城した。その後も終生韮山城を居城とし、この地で没している。70年後豊臣秀吉の小田原征討の時、山中城と共に小田原城防禦の前線基地として北条氏政の弟氏規が城主として守備した。氏規は織田信雄以下豊臣軍の大軍を相手に奮闘し、ようやく北条方の諸城が落城後家康の説得で開城した。開城後、家康の家臣内藤信成が入城したが関ヶ原の役後、駿河府中に加増転封になり廃城に。以後江川氏が幕府代官として天領を支配した。他方降将の北条氏規は後に豊臣秀吉に召しだされ河内国内に領地を有し、子氏盛の時大名に、更に孫の氏宗の時河内狭山に陣屋を構え明治に至った。
権現曲輪
堀切
遠望
江川邸
   反射炉
頼朝配流の地蛭ヶ小島