日本の城郭
韮山城
略史 北条早雲は堀越公方足利茶々丸を滅ぼし伊豆全土を制圧し、韮山城を築城した。その後も終生韮山城を居城とし、この地で没している。70年後豊臣秀吉の小田原征討の時、山中城と共に小田原城防禦の前線基地として北条氏政の弟氏規が城主として守備した。氏規は織田信雄以下豊臣軍の大軍を相手に奮闘し、ようやく北条方の諸城が落城後家康の説得で開城した。開城後、家康の家臣内藤信成が入城したが関ヶ原の役後、駿河府中に加増転封になり廃城に。以後江川氏が幕府代官として天領を支配した。他方降将の北条氏規は後に豊臣秀吉に召しだされ河内国内に領地を有し、子氏盛の時大名に、更に孫の氏宗の時河内狭山に陣屋を構え明治に至った。 |