日本の城跡

小松城

芦城公園・三の丸
訪問日 H14年 6月、H28年11月
ポイント 北に梯川をひかえ、西に梯川と前川の合流点がある。付近一帯は一、二mの低地となっており、いったん危急の時は城地の下流を堰き止め、一帯を湖水のようになるという。”小松の浮城”ともいわれた。三代利常の隠居所として居城、江戸幕府の一国一城令にもかかわらず金沢・小松の二城が並存したことは異例。
印象 事前勉強もなく突然訪問した為、本丸跡の小松高校が分からず櫓台石垣を見られなかった。三の丸跡にある芦城公園を中心に廻る。ここには城門の石塁が若干残っていた。再訪して、明智光秀が絶賛した"要害の地"と言わしめた小松をさぐりたい。再訪す。ツアーの最初の訪問地、念願の唯一遺構が残る本丸天守台を見る。梯川の堤防に登ると、城の周囲が湿地帯であったことが想像できた。
地図
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略史  一向一揆の武将で元本願寺の家臣、若林長門が城主であったが、織田家の家臣柴田勝家の攻撃で落城した。信長は家臣の村上頼勝を城主としたが信長の死後豊臣秀吉の命で本庄に移封され、代って丹羽長重が入城した。関ヶ原の役の前哨戦で丹羽氏は西軍に与し、前田利家と戦い敗れ所領没収され前田氏の所領となった。前田氏は年寄衆を城代として置いたが、三代利常が隠居所として居城したが死後は再度城代支配となった。
以下三の丸
右端に若干の石塁

再訪撮影・本丸土塁、堀跡

本丸跡

天守台石垣



本丸西側船着き場、石垣

同・堀跡

同・堀跡

同石垣

本丸堀跡

本丸土塁跡

梯川

城周辺の湿地・田と前方は出島跡

梯川堤防から本丸方面

外堀だった旧梯川(今は川の流れを変更している)
二の丸跡(小松高校)・堀跡

三の丸跡(蘆城公園・前田公銅像)




同・土塁跡