日本の城跡

大林寺

本堂
訪問日 S63年 3月
ポイント 江戸時代には東西130間、南北100間余あり、岡崎城の出丸として機能した。
印象 江戸時代はかなりの規模の寺であり、出丸として機能したようだが、現在は規模は縮小され、市街地開発で変貌している。又本堂も焼失、再建されたものでさびしい感じである。
地図
地図をクリックすると拡大します

略史  明応二年岡崎城主松平信貞が創立。松平七代清康、清康夫人春姫、家康の父広忠の墓がある。
周辺の石仏