日本の城跡
深溝城
城碑
訪問日
S63年 2月、 9月
ポイント
松平忠景の家系で、長男元心は五井松平家を、弟忠定が深溝松平家を創設した。五井家は後に断絶す。深溝城は当城以外に深溝近隣に2ヶ所あったと言われるが。
印象
深溝城は現在の深溝小学校付近にあったとの記述で訪問するも、他の本で松平氏の城は工業団地の所とのことで再訪する。いずれも遺構は殆んどない。
地図
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略史 室町中期に大場氏が築城した。松平信光の八男、忠景の次男忠定はこの城を攻略し深溝松平家の居城とした。三代家忠は関ヶ原合戦の際、伏見城を守り討死した。子忠利の時、三河吉田に移封され当城は廃城に。しかし10年程後に板倉重昌が当城を居城としたが、島原の乱で討死、子重矩が三河中島に居館を移した為、再度廃城に。
深溝小
以下道祖神社
遠望