日本の城跡

鳳来寺(真言宗五智教団本山)

東照宮
訪問日 S63年11月
ポイント 平治の乱で敗れた源頼朝は鳳来寺山内に匿われ、後日その報恩の為伽藍を寄進、更に梶原景時が三重塔を奉行し、安達盛長が常行堂を造営したと伝える。その後三河の豪族、田峯菅沼氏・作手奥平氏・長篠菅沼氏らにより維持された。徳川家も厚く信仰し寄進をし、時の権力者の保護の下栄華を極めたが明治の廃仏毀釈や焼失等で現在に至っている。
印象 重要文化財の仁王門をすぎ、1400段強の石段を登って行くと、次第に奇岩が目に迫りお堂が見えてくる。そして本堂・東照廟を参拝、奥の院は疲れて省略したが、鳳来寺山全体の景観は印象深かった。最盛期にはお堂・坊が全山に林立していたもので壮観であったろう。
地図
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略史  開山は白鳳時代で利修上人という。鳳来寺山頂近くにあり、表参道の石段は1425段という。本堂は大宝3年(703)の創建といわれ文治年中に源頼朝が伽藍諸堂宇を新築したとされる。慶安元年(1648)徳川家光が諸堂宇造替を発願し、同4年に竣工し同時に東照宮も完成した。最盛期には薬師堂・常行堂・天神社・観音堂・三重塔・鏡堂・弁天堂・毘沙門堂・弘法大師堂・鐘楼・楼門等有し、更に山麓から本堂まで21の坊舎があり壮観を呈したが、明治に入り類焼や棄却で現在は東照廟・楼門(仁王門)・奥の院・勝岳不動堂・僧坊医王院・増通院・本堂のみ。
展望台
東照宮
石仏
本堂
本堂への石段
鏡岩・鐘楼