日本の城跡
岩津城
遠望
訪問日
S63年 7月
ポイント
岩津山の東端、矢作川が作った碧海・額田の平野を望む要害。従って三河平野を狙うものはまず、この岩津城を狙った為周囲豪族と幾多の攻防があったが堅守した。
印象
名神高速道路が城を削っている。遺構はないが城の鎮護岩津天神等が残っている。岩津天神から三河平野が一望できる。
地図
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略史 松平三代の信光は賀茂郡松平郷を中心に抗争していたが、1421年に岩津の中根氏を滅ぼし岩津山に城を築いて移った。更に山下に七砦を築いて一族を分置した。信光は城の鎮護として天神を勧進し、岩津城を根城に三河平野に打って出た。晩年、安祥城を攻め落とし移り、岩津城を息子の親長に譲った。その後松平氏は発展したが、当城は要害の地だけに敵対者の拠点になることを恐れ廃城に。
岩津天神社
石仏
真福寺
ほら貝の穴
井戸
城碑
主郭