松平館碑 |
訪問日 |
S63年 9月 |
ポイント |
地方を流れていた時宗の坊主が、山奥の小豪族の娘を手に入れ住み着いた。これが徳川氏の始祖。名門新田氏の出とするのは後世の作文か。現松平神社を館とし、東方の城山に詰の城が築かれ、親氏は昼は館に、夜は詰の城に居住したと言われる。家康の用心深さも、親氏譲りか。 |
印象 |
山深い所。時宗の僧が知識を武器に、地方豪族に取り入ったのだろう。分かる気がする。水堀・石垣(後世のもの?)を備えた方形の館と後方の山に詰の城を持つ典型的な豪族館だ。将軍家に保護された菩提寺高月院に親氏・二代泰親の墓がある。夕暮れと急な雨で詰の城は登城を断念した。 |
地図 |
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