日本の城跡
今尾城
城碑
訪問日
S63年11月
ポイント
竹腰氏は犬山城の成瀬氏同様、尾張藩付家老で陪臣の為、立藩はできず陣屋づくりの居館であった。しかし天守台もあり、尾張藩の重要支城であった。明治に入り念願の諸侯に列したが、短い期間で終わった。
印象
本丸・堀は今尾小学校になり、城跡の雰囲気はない。城碑が城跡であったことをしのばせるのみ。
地図
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略史 室町時代末期美濃守護代斎藤氏の被官中島重長が築城し、以後70年支配していたが重行の時織田信長に攻め滅ぼされた。その後高木、森寺、戸倉、市橋氏とめまぐるしく城主が変り、城郭も整備されたが関が原後は尾張徳川領となり、付家老竹腰正信の在所となった。竹腰氏は3万石を領し、明治には正旧が諸侯に列し今尾藩を立藩した。
遠望
今尾小・本丸
同
土塁
土塁・堀