日本の城跡
城田寺城
遠望 |
|
略史 清和天皇十二代の孫、佐藤秀竜がこの地に要害を構築した。その後美濃守護土岐成頼が修築した。守護土岐成頼は嫡子政房を廃し、妾の子元頼を立てようとして守護代斉藤利永の臣、石丸利光と図った。しかし家臣は二分し守護土岐政房・元頼の家督争い、守護代斉藤利永の子妙椿、妙椿の養子利国と石丸利光の勢力争いが絡んだ美濃の乱が起きた。元頼・利光方は敗れ、最終的には城田寺城で再起を図るも包囲され自刃し、乱は収まった。それから60年後、斉藤道三の子義竜(土岐頼芸の子?)は自分を廃し、明智家の娘との間にできた弟の竜元・竜之を立てようとする道三の策謀を察知し二人を討ち果たし、鷺山の道三に宣戦布告した。道三は兵を招集したが、多くは義竜側に参じた為一戦して敗れ、城田寺城に退き立て籠もった。城田寺城から討って出た道三は長良川の畔で討死、一代の梟雄も滅びた。 |