日本の城跡
黒野城(別称:城藪)
略史 黒野城主加藤貞泰は遠江守加藤光泰の子である。加藤氏は西美濃安藤氏の一族で土岐氏の旧臣であった。加藤氏は元来黒野を領し、土岐氏に属してからは今泉の橋爪に住んだ。光泰はその後斎藤氏に仕え、後に豊臣秀吉に従って軍功を挙げ、近江高島・犬山城を経て大垣城に入った。その後佐和山城主、甲斐を領したが朝鮮の役の帰途に急死した。子貞泰は幼少の理由で黒野城に移されたが、関ヶ原の役で東軍に転じて宇喜多秀家を破る等軍功挙げ、米子に移封、廃藩に。米子では地子・諸役を五年間免除し、楽市を行う保護政策を打ち出した。 |