日本の城跡
臨済宗正眼寺(別称:妙心寺奥の院)
略史 1330年正願寺の開山、関山国師慧玄大和尚、後の無相大師は京都大徳寺で修行中、都の塵を嫌い草深い伊深の里に住み禅の心を養った。以来九年の間、里人と耕作牧牛を共にし、又少しの暇をみつけては因果の妙理を説いた。しかし国師は花園法皇の強い求めを辞することも出来ず上京、法皇は厚く帰依して離宮を寺に替え、正法山妙心寺を創建した。その後約300年後、この関山の跡地に大極和尚が領主佐藤吉次を檀家として茅屋を建て、初祖山・円成寺を創建した。そして10年後、国師の御像を塔中に安置して妙法山正眼寺と改名した。幕末、雪潭大和尚が本山の命により僧堂を設置して当寺を本宗の専門道場とした。明治42年、国師滅後550年に当たり、無相国師の謚号を賜り洞宗聡大和尚は伽藍を再興して今日の景観を整えた。 |