日本の城跡

阿久比城(別称:坂部城・阿古居城)

城碑
訪問日 S63年10月
ポイント 城は東西72m.、南北90m.の規模で二重の堀が巡っていた。中世土豪の館規模である。この城はなんといっても家康の生母於大の方の再婚先で、その後三人の男子、康元・勝俊・定勝を生んでいる。兄弟のいない家康は3人を大切にし、松平姓を許した。三兄弟はそれぞれ関宿、掛川、桑名を与えられ、徳川譜代として家康を支えた。
印象 城山公園になっている。遺構は堀のみ残っているが、全体としては小規模な城館の感じだ。家康の生母於大の方が水野家から今川勢力下の松平家に嫁ぎ、更に水野家の織田方への寝返りで離縁され、織田方の久松家へ再婚し3人の男兄弟を出産。戦国時代の女の強さを感じる城。
地図
地図をクリックすると拡大します

略史  菅原道真を祖とする久松氏の居城。十四代道定の時久松氏を称した。道定は尾張守護斯波氏の被官だった。道定が阿久比城を居城としたかは定かではないが、十一代後の俊勝の時には住んでおり、徳川家康の母於大の方を妻に迎えている。そして成人した家康が阿久比城を訪ね、生母・異母弟と面会し、3兄弟に松平姓を与えた。その後久松俊勝は養子の信俊に阿久比城を譲り岡崎城に入った。しかし阿久比の信俊は織田信長の重臣佐久間信盛の讒言により切腹させられ、城は佐久間軍に攻められ灰燼となった。
  城山入口
 
石碑
城山公園
登城坂
空堀
空堀
久松家菩提寺・洞雲寺
   
以下久松家墓所
遠望