日本の城跡
星崎城
城碑
訪問日
S63年 4月
ポイント
笠寺台地の南端に位置し、東西92間、南北58間とかなりの規模で二重堀で備えていた。岡田氏は織田家の忠臣であったが、秀吉の策謀に信雄がかかり、あえない最後を遂げた。
印象
笠寺小学校の敷地になっている。開発で遺構は殆んどなく、城碑が校門の脇にたっていた。
地図
地図をクリックすると拡大します
略史 守山に勢力を持っていた岡田氏が星崎城に関係深く、城主が岡田直教の時織田信秀に仕えた。城主重孝の時、信長の子、信雄の家老を務めたが、豊臣秀吉の誘いを信雄に疑われ謀殺されてしまった。小牧・長久手の戦い後、山口重勝・重政が入城したが、後に信雄の命で伊勢茂福に移った為当城は廃城となった。
本城・笠寺小
同
本城公園
同