日本の城跡

岩倉城

本丸・不動堂
訪問日 S63年 2月
ポイント 岩倉織田信安は尾張上四郡(丹羽・葉栗・中島・春日井)を支配したのに対し、下の尾張(海東・智多・海西・愛智)を支配した織田信長は清洲城を本拠として対立した。信安は台頭著しい信長に度々敵対行動を起こしたが滅亡、信長は尾張を統一した。
印象 歴史的にも有名な城だが、町並みの中に埋没し遺構は城碑のみで何も無い。平城であった為余計に破壊されたのだろうが、それにしても残念だ。
地図
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略史  織田伊勢守系統の敏広が築城。敏広は尾張守護の斯波氏に属し、守護代として活躍した織田常松系の正統で、別派の織田大和守系の敏定と対立し、岩倉城を根拠に尾張上四郡に勢力を張った。信安の時、織田信長の弟、信行に味方した為信長に攻められ、その後浮野合戦に信長に敗れ、岩倉は逃亡、城は破却された。
 城碑
 
本丸・不動堂裏から
本丸
城跡付近工事中
街並み
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道標