日本の城跡
笠覆寺(別称:笠寺観音)
略史 733年に呼続浜に桂旦国誉山の霊木が浜に漂着したが、近くに住んでいた禅光上人がお告げを受け、霊木をもって十一面観世音菩薩を刻み寺を建立し、天林山小松寺と称したがその後200年を経て寺は荒廃した。関白藤原基経の子、兼平中将は鳴海の長者、成高の家に宿をとった際、成高に仕えていた娘が雨露に濡れる寺の本尊に笠を覆う等大切に供養していたのを見て感心し、妻として迎え現在地に仏殿等を建て、笠覆寺と称した。その後300年を経て再度仏堂が荒廃したが、房阿願上人によって再興されている。 |