日本の城跡
勝幡城
城碑
訪問日
S63年 4月
ポイント
中世豪族の城。東西100m.、南北140m.の規模で二重の堀を巡らしていた。織田家発展に伴い、規模の大きな城の築城材料になる運命に。発展の一つの拠点ではあった。
印象
なかなか見つからなかった。やっと城碑を発見して喜んでいたら、付近を廻っている途中で別の城跡案内を見つけ間違ったかとびっくり。城跡の裏側にもう一つ案内があったのだが。こんあこともあるか。城郭内は田畑に変わっており遺構はない。
地図
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略史 室町時代後期、尾張守護代の清洲織田氏の三奉行の一家である織田信定が築城した。子信秀は主家の清洲織田家をしのぎ、尾張下四郡を手中におさめ、那古野城を今川氏から奪い勝幡城に進出した。そして古渡・末森城を築き、更に西三河に侵入した。こうして信長の時代に勢力を伸ばしていったが、規模の小さな勝幡城は廃城になった。
もう一つの案内
遠望・水路
日光川
遠望
雑木林の中の城碑
日光川・遠望
日光川沿い
勝幡神社
日光川・城方面
日光川と領内川の合流点
旧家