日本の城跡
下社城
本丸・明徳寺
訪問日
S62年 5月、63年 3月
ポイント
小高い丘にある。織田家随一の武将で老臣筆頭の柴田勝家の居城。信長の信任厚く上杉謙信の押さえとして越前北庄に移ったが、信長の死去以来不運が続き、ついには豊臣秀吉に滅ぼされる。
印象
現在は明徳寺の境内になっており、城碑・柴田勝家氏誕生碑のみで遺構は無い。しかし寺が建っているせいか、いかにも武骨一辺倒の柴田氏の城跡の雰囲気がある所だ。
地図
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略史 尾張守護職斯波氏の一族、柴田勝家の居城。勝家は当城で生まれ、一時信長の弟信行に仕え信長に対抗したこともあったが、稲生の合戦で信長に敗れたのちは信長に心服し抜群の軍功を重ねた。朝倉氏滅亡後北陸の押さえとして越前北庄を与えられたため、当城は廃城となった。
城碑
明徳寺・鐘楼
柴田勝家誕生碑
遠望