日本の城跡

蒲原城

遠望
訪問日 H17年 6月
ポイント 城の背後には深い浸蝕谷を形成している向田川と深谷が入り込みほぼ独立の山容をなす戦国期の堅城。山頂、山腹を削平して造った大小の曲輪を有機的に関連させ立体的に縄張りを構成している。
印象 なかなか見つからず。駅から山に行く道の左側に城山への登山道があった。かなり車で行けたので比較的楽に登った。善福寺曲輪と一の曲輪との間に大空堀あり、かなり深い堀だ。一の曲輪の一部や他に石垣もある。東名高速道路工事の為、大手口、大手曲輪は一部を除き消滅、一面のみかん畑等になっており農家の人に聞くも登れないとのこと。山頂から駿河湾が見渡せ眺望すばらしい。城山の対面の御殿山に狼煙台がある等中世城山の遺構が良く残っている。。
地図
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略史  遠江守護今川範国を祖とする蒲原氏頼の頃蒲原城を領有。蒲原城は今川氏の支城として富士川以東の敵を阻止する役割を担った。今川氏没落後軍事同盟の北条軍が入城したが武田軍の再三の駿河侵攻で落城、山県昌景が領有した。武田勝頼滅亡後徳川軍の攻撃で落城し、後廃城。
南曲輪
堀切
大空堀
土塁
一の曲輪
石垣
善福寺曲輪から一の曲輪を見る
大堀切
善福寺曲輪
石垣
大手曲輪の一部
御殿山の狼煙台