日本の城跡

丸子城(別称:鞠子城・宇津谷城)

遠望
訪問日 H18年 5月、H19年 4月
ポイント 四方から道が集中しており、駿府の西に対する関門として今川氏は重視し、駿府の支城とした。もともとの城主斉藤氏時代の北城は室町初期に見られる土豪の城の特徴で郭内は狭く、単調。他方、今川氏時代に拡張した南城は戦国時代の特徴をもつ主郭千畳敷を設け、これを軸に東西に伸びる曲輪で固めている。
印象 最初は時間が遅くなり登れず。麓の村が観光用に開発されているのにびっくり。次は早めに行く。片桐且元の墓がある誓願寺に駐車して登る。登城道は整備されているが最初の上りはきつい。途中、青大将の挨拶を受ける。土塁・空堀・竪堀・虎口・土橋等遺構も良く残り、案内もあって分かり易かった。北本城・二の丸・三の丸・南本城と尾根に連なっている。ハイキング気分で楽しかった。
地図
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略史  今川氏被官、斉藤氏歴代の居城。今川氏親は府中の防備を固める為、西の関門である丸子の斉藤氏の居城を接収し丸子城を強化した。そして氏親は遠江の国人衆を攻撃し勢力を拡大していったが、武田信玄との戦いに敗れ駿河を失った。丸子城は重臣山県昌景が入城して守りを固めた。その後丸子城には諸賀氏、屋代氏が入城したが徳川家康との戦いで劣勢となり城を明け渡し退去開城した。家康は松平備後守を入城させたが、秀吉の小田原征討後の家康の関東への転封により廃城となった。
尾根道
城塁
出曲輪
石碑
千畳敷
食違虎口
堀切
横堀
武者走り
横堀
馬出曲輪
本丸
虎口
本丸
堀切
竪堀
二の丸
虎口
北曲輪
竪堀
横堀
虎口
土橋
大手木戸口
武者走り
横堀・三日月堀
土塁・堀切
枡形虎口・櫓台
遠望
誓願寺
同門前
柴屋寺