日本の城跡

山中城

西櫓障子堀
訪問日 H17年 4月
ポイント 後北条氏流築城法の特徴である、障子堀、畝堀の手法をよくとどめた戦国期山城で、これほど全貌を立派に残している遺跡は他に無い。箱根外輪山の外方中腹にあり、北・西・南の三方が峻谷に囲まれた天然の要害。本丸他多くの郭、曲輪を取り巻く堀が残っている。
印象 良く整備されており見やすい城跡だ。本城、出城とも、遺構は良く残っている。本丸・二の丸・三の丸・西の丸は深い堀で守られ、堀は障子堀・畝堀等特色があり、事前に知識はあったが思わず興奮して跳ねるように見て廻った。想像以上の城だった。ただ、これだけの城がたった半日で落城するとは?時流と城方の戦意を喪失させる圧倒的戦力差だろうか。
地図
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略史  後北条氏康は箱根十城の要の城として築城。氏康は山中城を当初番城としたが、後に北条氏勝を城主に、松田康長を城番とし防備を固めた。豊臣秀吉の小田原征討で、秀次を総大将とする城方の17倍の大軍に対し松田康長以下立て篭もって激しく抵抗したが、城主氏勝を城外に送り出した後康長以下壮絶な戦死を遂げさしもの堅城も半日で落城した。落城後、一時徳川家康が陣所を置いたが征討後廃城となった。
三の丸薬研堀
三の丸、左が北の丸方面
右が三の丸
箱井戸
田尻の池
三の丸土塁・空堀
二の丸土塁・空堀
   同畝堀
同薬研堀
二の丸虎口
二の丸
本丸堀・櫓台
   
同畝堀
元西櫓(北の丸)
本丸から元西櫓
西櫓堀
同・左は本丸天守台
障子堀
西櫓
障子堀
畝堀
三日月堀
畝堀
西の丸
横堀
空堀
畝堀
岱崎出城方面
岱崎擂鉢曲輪
畝堀
岱崎御馬場曲輪