日本の城跡

八幡平の城(別称:新野古城・新野八幡平城)


主郭下の堀切
訪問日 H30年 2月
ポイント 当城は牧之原台地の南端にあたり、侵食が進んだ複雑な丘陵地形を利用した山城。新野の地は、塩の道で有名な塩買坂に通じる交通の要衝であった。後に武田氏の支配した高天神城への軍道を抑える城として整備された。縄張りは南北400m程の規模で、山頂に主郭、北側尾根に二の郭で構成され、主郭、二の郭とも、東・西の両側は急峻な斜面になっている。主郭は東南側に二重の横堀で囲い、南、北、西に伸びる尾根筋を、深い二重の堀切や普通の堀切で断ち切っている。二の郭も尾根筋に深い堀切を入れ防御している。これらは武田式築城法である。なお、両郭とも土塁は見当たらない。
印象 大手道から登る。早速、堀切、二重堀切、切岸、横堀等、次から次と防御施設が飛び込んでくる。一つ一つ確認しているとすぐに主郭に到着。主郭には土塁がないが、虎口の堀切で固めている。二の郭へ向かうと、やはり二重堀切が待ち構えていた。結構厳しい傾斜の堀切で、よそ見をしていたら、足を滑らしてしまった。二の郭も土塁はないが、北の最後の二重堀切は見事で圧巻だった。この城も武田流の築城だが、高橋の城よりも、手の込んだ造りで、見応え十分だった。
地図
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略史  当城の歴史は明確ではないが、在地豪族新野氏が舟ケ谷城の詰城として築城したと言われる。高天神城が徳川氏の支配になり、当城の役目も終わり、廃城になったと思われる。

主郭方面遠望

二の郭方面遠望

主郭への大手道

いよいよ城域

登城坂

   結構きつい
堀切・前方主郭切岸

堀切・土塁

堀切・帯郭

主郭切岸

主郭下の横堀・帯郭




急崖

主郭南虎口


主郭



主郭北虎口

堀切



主郭方面を振り返る

主郭と二の郭間の小郭



小郭と二の郭間の二重堀切


小郭方面の坂

二の郭手前の二重堀切


二の郭


二の郭西側の堀切

二の郭



二の郭北隅

二の郭北虎口

二の郭北二重堀切

同二重堀切

同二重堀切

二重堀切

二重堀切

北尾根方面

二の郭下の堀切

同を振り返る

二の郭切岸


二の郭下の想慈院と主郭方面分岐点

想慈院へ

竪堀

想慈院へ、堀底道?

想慈院からの登城口

想慈院墓地から二の郭・二重堀切方面