日本の城跡

犬居城(別称:乾城・鐘掛城)

遠望
訪問日 H17年 8月
ポイント 南朝方、井伊氏の要害三岳城に対して、北朝方の天野氏が信州街道を見下ろす鐘掛山に要害を築いた。戦国期の在地土豪の山城。
印象 車で熱田平の館跡まで行き、後は山登り。行者山とも言われる岩山を切り開いた厳しい登りの道が600m程続く。堀、土塁、曲輪など遺構が残る。平らな部分が少ない、規模は比較的小さい。南側は90度に近い急斜面だ。まさしく戦国期の山城だった。
地図
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略史  天野氏は藤原南家の末裔で伊豆天野郷に土着して以来天野氏を名乗り、鎌倉、南北朝期を通じて大井川西岸から天竜川東岸一帯に在地土豪の権威を誇った。その後時の権力者、今川、徳川、武田氏に仕えたが、長篠の大勝の余勢をかって攻撃した家康のまえに敗れ当地を追われた。
登城口
虎口
岩石状の山
堀切
外郭の一部
堀切
武者走り
本丸
同土塁・空堀
同土塁
堀切
本丸より
遠望