日本の城跡
掛川城(別称:雲霧城・松尾城)
略史 朝比奈氏は朝比奈郷の地頭として在住し、室町、戦国期の今川氏の重臣。今川義忠の命で斯波氏への押さえとして掛川に築城、三代100年にわたり居住した。武田信玄に駿府を追われた今川氏真と落武者を掛川城に収容。遠江侵攻をめざす徳川軍の攻撃を良く防戦したが6ヶ月後ついに開城し、氏真に従って伊豆戸倉城に移った。家康の関東入部後山内一豊が入城し近世城郭を作りあげた。一豊が土佐に転封後松平定勝が入封立藩。その後安藤、松平、青山、本多、井伊、小笠原等東海道防衛の要として譜代が封ぜられた後太田道灌の末裔が明治まで在封した。資始の時京都所司代、老中に昇進し幕閣を担い、一方二宮尊徳仕法を採りいれ民生の安定に努めた。最後の資美は戊辰時逸早く恭順、府中藩の創設で転封、廃藩。 |