日本の城跡

勝間田城

遠望
訪問日 H17年 8月
ポイント 三百余年当地に勢力を張った豪族の勝間田氏の城郭(南の城)と戦国時代、遠江に侵攻した武田氏の城郭(北の城)の複合体で構成で出来ている山城。
印象 そんなに高い山城ではないが麓から登るとかなりきつかった。途中茶畑が一面に広がる。今回は時間の関係で南の城を廻る。全体的に小規模な曲輪であるが本丸、二の丸、出丸が段階上に配置され、堀、土塁の遺構も残っている。行けなかった北の城は大きな曲輪で構成されているようだ。
地図
地図をクリックすると拡大します

略史  源氏一党の勝間田氏は保元の乱、鎌倉幕府創生期等に活躍した名族。南北朝期には南朝方として遠江の守護今川氏の一将として登場、しかし遠江の守護が斯波氏に変わり次第に西遠の土豪横地、勝間田、鶴見諸氏は斯波氏に近づき反今川の旗を揚げた。この為今川義忠陣頭に立っての攻撃にあい落城、以後一族は衰亡した。
土塁
土塁
空堀
曲輪
虎口
曲輪
堀切
曲輪・土塁
主郭から見る
大堀切
切岸
主郭
南の城主要部
北の城への通路