日本の城跡
小山城
遠望
訪問日
H 8年 3月
ポイント
牧の原台地の枝尾根の端、大井川の三角州に張り出した舌状台地を利用。当時は大井川が台地の裾で淵になっていた天然の要害。今川、武田、徳川氏が領有、争奪の最前線。
印象
偶然発見。天守が建っているが当時は無かったもの。丘の上にあるが土塁、空堀、三重堀等が残る。現在ある能満寺の境内も付属する曲輪か。大井川が城の下まで迫っていたらしく、違った景色であったろう。
地図
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略史 今川氏滅亡後武田軍は大井川を越え、徳川氏が領有する小山に侵入して守将松平氏を破り今川氏時代の城砦を本格的に築城して大熊長秀を置いた。しかし長篠合戦以降、徳川軍の攻勢を受け高天神城が落城、更には武田氏討伐の為織田信長が進発の報を聞き城兵は逃散、落城した。
三重堀
模擬天守・本郭
左は二の曲輪
空堀
土塁・空堀
勘助井戸
木戸
能満寺(曲輪)