日本の城跡

久野城(別称:座王城)

遠望
訪問日 H18年 8月
ポイント 宇刈丘陵の南端。東西と南を水田地帯に囲まれ、雨期になると水面に浮かぶ孤城の姿。秀吉麾下の松下氏は街道筋に配備された他城と同じように、関東の家康に備え城の東方に曲輪、堀等拡充強化している。
印象 なかなか見つからなかったが、苦労が実った。予想上に遺構が良く残っていた。平山城。東名高速の山側ですぐ近くにあり大きな看板もあった。一の丸、二の丸、西の丸等の曲輪、土塁、空堀が良く分かる。周りは水田になっており、田植え、収穫期の趣のある風景が浮かぶ。
地図
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略史  藤原南家の末裔、今川氏に属した久野元宗は義元に従い桶狭間で討死。その後城主になった弟宗能は徳川氏に仕え今川氏真の篭る掛川城攻めに従軍している。家康の関東入部に伴い下総佐倉へ移り、代わって豊臣秀吉の部将松下之綱が入城し特に東方を防備を固め、曲輪、堀を拡張した。松下氏は関ヶ原で東軍に属し本領安堵されたが無断で石塁を築いた咎で移封、その後久野氏が復帰領有したが徳川頼宣付を命ぜられ和歌山藩重臣となった。そして北条氏重が入封立藩したが、後関宿に転封となり廃藩に。
遠望
主郭より
主郭
主郭・堀切
主郭に上る
主郭
主郭と手前の北郭
主郭
空堀
曲輪
外郭