日本の城跡

大鐘屋敷


屋敷長屋門ほか
訪問日 H30年 2月
ポイント 代々大庄屋であった。屋敷は母屋を中心に、長屋門・納屋・土蔵・離れなどを配している。母屋は十八世紀初頭から中期にかけ、それ以外の建物は十九世紀初頭の建築とされ、石垣は相良城の石垣を一部移したもの。
印象 長屋門・納屋・石垣など、歴史と風格を感じる。喫茶や紫陽花庭園など経営している。時間がなく入口付近で参観のみ。
地図
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略史  大鐘氏は尾張の出身。七代の当主・定綱は、柴田勝豊の城代家老として仕えいたが、賤ケ岳の戦いでは秀吉側として参戦し、軍功を挙げた。その後加藤清正との間に確執があって、当地大磯村に移り住んだいう。徳川初期には三千石の格式を持つ旗本として徳川家に仕えたが、元禄の頃には大庄屋として、付近一帯を支配した。現在も大鐘氏が屋敷を構えている。

屋敷

付近からの富士山