日本の城跡

大多喜城(別称:大滝城)

模擬天守
訪問日 H3年 3月、H22年 1月
ポイント 安房館山城主里見義康への防御拠点として築城。猛将本多忠勝に縄張りさせる。城の背後は九十九あると言われる急傾斜の谷が続き、前方は幅が広く断崖絶壁が続く夷隅川に囲まれた天然の要害の地。
印象 大多喜駅の裏の小山の上に復興天守が見える。三の丸、二の丸に続いて本丸があるが、二の丸にある大多喜高校に閉ざされ本丸に登れない。自動車道を遠回りして,てくてく登った。途中、水の道や空堀など見ながら本丸へ。本丸から城下町、山々が一望できる。22年1月に再訪。二の丸に建つ大多喜高校に行く。念願の薬医門を見る、高校生が元気に運動場を飛び跳ねていた。
地図
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略史  北条氏滅亡後、関東入部した徳川家康は本多忠勝に入封立藩させた。忠勝は当初、真理谷氏が築き、その後里見氏の家臣正木氏が入っていた小田喜根古屋城に入城したが防備面から新城を築城した。しかし忠勝は関ヶ原の役後桑名に、跡を継いだ政朝も龍野へ転封になり、以後阿部、青山等の譜代大名の入転封が続き一時廃城にもなったが松平正久が入封し安定した。最後の藩主正質は老中格として鳥羽伏見の戦いで鳥羽口の指揮を執ったが大敗し、領地官位を没収され佐倉藩に幽閉されたがまもなく許された。
遠望
水道
 土塁
  
二の丸
本丸・土塁
本丸模擬天守台
本丸
  
天守より大多喜高校(二の丸)
天守より
夷隅川
二の丸から天守 同にある薬医門 同土塁