日本の城跡

騎西城(別称:私市城

土塁
訪問日 H18年 4月
ポイント 城の周囲は沼で守られ、本丸・二の丸・郭は土塁が土塁がめぐっていた平城。古河公方足利氏と山内上杉氏、上杉謙信と北条治下の成田氏との抗争で絶えず真っ只中に。
印象 ほったらかしになっている城跡もさみしいが、このように無いはずの天守、御殿に似せたらしい福祉施設の建物があるのもさみしい。これは騎西城跡ではない。僅かに残った土塁のみが昔を偲ばせる。
地図
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略史  武蔵七党の一つ私市党の館があった。古河公方足利成氏は山内上杉氏が守る騎西城を落とした後古河公方方の最前線として小田氏、成田氏を守らせたが上杉謙信の関東進出、北条氏の勢力増強の中、支配がゆれたが豊臣秀吉の小田原征討後の徳川家康の関東入部で松平康重が入封立藩した。関ヶ原の役の軍功で加増うけ、笠間へ転封となり代って大久保忠常が入封した。子忠職の時、祖父大久保忠隣事件が発生したが幼年であった為蟄居で許され、後美濃加納に転封となった。騎西領は天領となり廃藩となり代官所が置かれた。
模擬天守
沼跡の池
天神曲輪
二の丸
大手門跡